私の職業奉仕(指宿RC・米永 貞嗣)
2018年01月12日 13時13分更新
所属クラブ:指宿ロータリークラブ
氏名:米永 貞嗣
私の会社、有限会社米永書店は私の祖父が昭和の初めにこの指宿市にて起業いたしました。ですので、私で3代目になります。
祖父は、軍馬の調教、不動産等々様々な事業を経、書店経営に入りました。
指宿では老舗の部類に入ると思います。その後、私の父が戦争から復員し祖父から昭和22年に引き継いだと聞いております。
時代は、決して豊かな時代ではありませんが、子供たちも多く学校関係に携わる仕事は
将来の展望は概ね良好な時代でした。
また、高度経済成長にも支えられ、物が動く時代でもありました。
弊社も類にもれず、会社の業績は、店頭での販売も好調で、昭和50年には現在の店舗を構え、外商も含め、それなりに順調に推移しておりました。
その後、昭和から平成へ時代が変わり、地方都市の構図は、郊外型の大型店の進出、
人口の減少、消費動向の変化など様々な要因が重なり、町の中心街はシャッター通りへと化していきました。
そのような中、弊社は、先代の堅実な経営と地域の皆様からの支えがあって、現在まで「のれん」を守ってこれた次第です。
そして、平成元年「バブルの申し子」私、3代目が東京の丁稚奉公を経、指宿で会社を引き継ぐことになりました。私が25歳になる年であります。
当時、会社の従業員は2人。先代社長と私の4名での再スタートでありました。
しかしながら、20代の私は、入会したての青年会議所活動に没頭するあまり、父との衝突が堪えませんでした。
見かねた父は、私が30歳になる年に、会社の役職を降り、私を代表取締へとし、仕事から一線を退いたのでした。
もちろん父が高齢だったこともありますが、営業一本だった私自身に、責任を持たすことで仕事への自分の役割を明確にしてくれました。
会社の会計処理・社員の給与・そして、取引先への支払いから、回収まで、すべての
業務が、のしかかってきました。
これは、私自身が責任を持つことは当たり前ですが、企業が社会といかに向き合うべきか、
先代が作ってくれた信用と地域への信頼を損なうことなく、そして、この会社で働いてくれる従業員すべての幸せと、この会社でやりがいのある仕事の創出、等々重い責任がのしかかってきました。
幸い、当時から「人付き合い」には、たけていたほうだと思います。各種団体活動・イベントや、地域ボランティア、様々な活動を通して知り合った方々とのお付き合いは大事にしてまいりました。
そう!!私の仕事の根幹にあるのはまさしく「人」と「感謝」なのです。
商売をやるうえで、私にとって、この「人」との出会いは仕事の「格」「幅」をつける
大事な要素なのです。
先代から引き継いだ後、信用のある「のれん」を汚すことなく、今までやってこれたのも、弊社のお客様、お取引様、そして縁あって弊社での仕事についてくれた社員はもちろんの事、地域の皆様や、ここ、ロータリーなど、各種団体でご指導いただける先輩方や
価値観を共有できる仲間に恵まれたからこそです。
また、この出会いが、次のビジネスチャンスを作ってくれます。まさに「人」との関係なくして、私のビジネスは成り立っていません。
現在、弊社で頑張ってくれる社員・パートも含め10人になりました。地方で物販をメインに商いをし、そして、この斜陽に入ったこの業界ではそれなりの社員数になりました。
そのような中、弊社社員の離職率は非常に低く、全ての社員が永く勤めてくれます。
それは、全ての社員が会社の理念の価値観を共有し、自分の仕事に誇りをもって努める
よう仕事へ取り組んでいるからだと思います。
そのうえで弊社では、全ての社員を、それぞれ担当制にし、専門知識をつけさせ、責任のある体制づくりをしております。そこから生まれる自身のやる気が個々のモチベーションを上げ、各々の仕事に対して、真剣に取り組んでくれております。
まさに、会社は「人」づくり、そしてその「人」が会社を支えてくれるのです。
また、この「人」との出会いから、ビジネスのチャンスを頂き、物販だけではなく様々なビジネスをさせていただいております。
折角ですので、弊社の特殊業務を2~3、ご紹介させてください。
例えば、個人情報の機密文書の処理など、税務署・警察署・公共機関や民間の病院・金融機関等、南薩摩地域ではいち早く、弊社が執り行っているサービスです。
また、鹿児島県の内装業の許可もとった事で、公共施設・民間新築物件の家具備品の物販に留まらず、ご提案の幅も広げております。その結果、新規の施設の家具備品・OA機器の供給もこの商圏では概ね、お手伝いさせていただいている状況です。
そして、CVSの提携により様々な流通をすることができるようになり、直販型の売店業務もお手伝いさせていただいております。
このような、様々な業務形態をかさねてこれたのも、「人」との出会いがつながっているからです。
正直に商いをかさね、信用をいただき、そしてまた、いただいた仕事はベストを尽くす。
「人」との出会いが、ビジネスを生み、そしてそこに係ったすべての人が幸せになるよう努めています。
最後に、抱負としまして今後も、今日の仕事を大事にしながら、中期・長期的なビジョンを持ち、目先の小さいことより、大局を見据えたビジネスを目指します。
結果、この地域に根差すことで、これからの将来のある若い人たちへ、魅力ある地域の創造と、さらには私を支えてくださった地域の「人」と「人」をビジネスを超えた
ベストマッチッグができる企業となるように努めていきたいと思っております。
結びに、
先日2月25日に、知覧の特攻平和記念会館へ行ってきました。
これは、私のライフワークでもあり、年に数回、来観しております。
私が県外の同世代のお客様が来たら必ずといっていいほど連れていきます。
私の父も戦争体験者です。しかし、多くの事は語ってくれませんでした。
良くも、悪くも、これは日本の歴史の事実であります。
そして、この国を思い、憂い、若くして、散っていった人々の思いがここにはあります。
彼らは、「自分がこの国の未来のために散っていくのだから、あとは、お前たち頼んだぞ。」といって死んでいきました。
私は、この国は理想通りの国になっているかは判断しかねます。
しかし、彼らが残してくれたもの。この精神だけは次の時代へつなげよう。
そういう社会貢献できる会社を目指して、今後も仕事に取り組んでいこうと思っています。
まとまりのない、話になりましたが、以上で商業奉仕の講和とさせていただきます。