私の職業奉仕(宮崎南RC・大田 寛子)

所属クラブ:

氏名:大田 寛子

ロータリーに入会させていただいて3年が経ちました。私の職業奉仕はまずよほどのことがない限り、例会に出席するということから始まりました。幸い宮崎南ロータリークラブの方々は心広く若輩者の私に気軽にお声をかけてくださり、ロータリーについてもお教えいただいたので、すぐに馴染み、例会に出席するのが楽しみになっていきました。思えば、私自身が皆さんの「奉仕の心」を享受していたのだと思います。そのことに気がついってからは新入会員の方には自分から話しかけるよう努めました。『I serve』、それが奉仕の始まりだと思ったのです。

そして2年目、インターアクト委員長を仰せつかった私は、鵬翔高校のインターアクト部と交流を開き、インターアクト地区大会ではなるべく生徒さんたちに話しかけるよう努めました。初めはドキドキしながら話しかけていましたが、とても素直な生徒さんばかりですぐに打ち解けることができました。そして、彼らがとても真剣に世界の貧困やボランティアに関して考えていることを知り、私も何かできることはないかと探し求めるようになりました。これをきっかけに私の職場での振る舞いが変わったように思います。

私は現在、父の会社で社長秘書を務めております。ロータリーに入るまでは、言われたことを言われたとおりにやるだけの「人材」にもならない「人在」でした。しかし、奉仕の心を学んでからは「人財」になるべく様々なことを学び、自社および取引先に貢献できるよう精進してまいりました。弊社では毎朝、社内および社外の清掃を行っているのですが、入社当時、残念ながら私はその作業にあまり真剣ではありませんでした。しかし今は社内だけでなく、街中を歩いているときにもゴミを見つけたらゴミ箱に運ぶようにしています。そして今は経営者側の人間として、社員一人一人に気を配り、個々の得意なことは何か、やりたいことは何か、悩んでいることはないかを見つめ、やりたい仕事ができるよう采配したり、悩みをさりげなく聞いたりすることに成功しています。

そしてこれは高校時代から時間を見つけてはやっていることなのですが、宮崎市にあるカリタスの園という児童養護施設に時々足を運んでいます。児童養護施設には皆さんご存知の通り、ご両親の様々な事情により、親に会えない子供たち、月に1度しか家に帰れない子どもたちが暮らしています。高校時代はお菓子を作っては届けていたのですが、大人になった今、私にわかったことは、子どもたちが求めているのは物質的な援助ではなく、温かい愛情だということです。ですから、私は今、カリタスの園に手ぶらで向かいます。そして子どもたち1人1人の名前を呼び、抱き上げ、話をします。帰るときに次の約束はしません。もし約束を破ることになってしまったら、どんな事情であろうと親に会えない現状にいる彼らは、親元で育つ子どもの何倍も傷つくと思うからです。約束をしない代わりにしっかりと抱きしめます。それだけで子どもたちは笑顔を見せてくれるのです。

そしてここからは『We serve』になるのですが、宮崎南ロータリークラブは埼玉県の蓮田ロータリークラブと姉妹クラブを結んでいます。その関係で昨年の2月、蓮田ロータリークラブと共同でタイ北部のチェンライにある小学校にパソコンを寄贈してまいりました。私は当時、国際奉仕委員ではなかったのですが、タイで1年仕事をしていた経験があり、タイ語が話せるということで同行させていただきました。タイの一般家庭でのパソコン普及率はバンコクでも30%ほどです。インフラは整備されていますが、北部の田舎のほうになるとゲームセンターくらいにしかパソコンがありません。また、生まれたときに受けられる教育が決まるといわれるほど貧富の差も激しく、北部の子どもたちは中学校まで義務教育にもかかわらず、小学校を卒業したら家計を補うため働く子たちも少なくありません。

そこで、パソコンとWifiを提供し、小学校でインターネットを通じて世界の様々なことを学んでほしいという思いから始まった国際奉仕でした。パソコンのセットアップが完了すると、子どもたちは目を輝かせながらパソコンを操作していたのが印象的でした。

私個人でできる「社会奉仕」はとても小さなことです。しかし、ロータリークラブに入会させていただいてからは、ロータリアンとしてできることを精一杯やらせていただく所存です。ロータリーで「社会奉仕の心」を学べたことは、私にとってかけがえのない財産です。