私の職業奉仕(宮崎北RC・長嶺 貴臣)
2018年01月11日 11時11分更新
所属クラブ:宮崎北ロータリークラブ
氏名:長嶺 貴臣
私は、昭和49年に大学を卒業しました。3月卒業式を前に父が他界し、急遽宮崎へ帰省することになりました。昭和48年第四次中東戦争勃発を契機に第1次オイルショックを迎えた時代でした。神戸にいるときは、バイト先の3企業から入社を依頼されておりましたが、宮崎に母一人にするわけにもいかず、やむなく断った次第でした。
急遽帰省したため、宮崎での仕事もなくアルバイトをしながら就活をしていたような時代でした。49年10月に建設業の会社を紹介され面接を受けましたが、土木事業の不振により関連会社のガソリンスタンドへ就職することになりました。その後約5年・約2年・約6年と勤め職を替えました。上司との折り合い、また業界の動向を考えると、転職を考え知り合いの紹介で面接を受け、採用が決まると勤務先へ辞表を提出し、新規の就職先には業務引継ぎのため20日待って頂き、退職の翌日から入社するということを2社経験致しました。
今の仕事を始めましたのは、最終の勤め先にて、お客様より「イベントの会社を立ち上げようか」とお誘いを受け、学生時代習った漢文での「牛後となるなかれ、むしろ鶏頭となれ」という「牛尾鶏頭」のことわざを胸に秘めておりましたので、これはいいチャンスだと思い、妻や叔父に相談をし、昭和62年1月に退職し、1ヶ月の福岡での無報酬の研修並びに5ヶ月あまりの株主集めをしまして、昭和62年6月20日に3名の代表取締役を置いての会社設立でした。
現状はそうはうまくいくものではなく、半年でイベント企画オンリーから物品レンタルを含む事業へと転換いたしました。これからが大変で、中途半端な資金では物品の調達に追いつかなく、またバブル経済も後退期に入り株主も他の代表二人を含め、株を返還し、父が築いた財産を切り売りしながら設備投資並びに運転資金としておりました。
平成8年に会社の経営理念
「私たちは地域の活性化と繁栄に貢献しともに喜びを分かち合うため日々研鑽します」と社訓
「1.私達は、顧客の要望に応え、迅速なサービスと、適正な利潤をもって、限りなき発展に努力します。」
「2.私達は、感謝の気持ちと礼節を重んじ、他人の人格感情を傷つけず、思いやりと、寛容の心を持って人と接します。」
「3.私達は、初心を忘れず謙虚な気持ちで、自己研鑽に勤めます。」
「4.私達は、常に創意工夫と研究心を持ち、日々新たな意識の向上に心がけます。」
「5.私達は、責任と義務を果たし、公明正大に評価し、正しい報酬を得ます。」
を作り、朝礼のとき日々唱和をしておりました。
私たちの仕事は、皆様が休日のとき楽しんでいただけるイベント会場設営・管理や地鎮祭から開通式または竣工式などの設営並びにお手伝いを行い、皆様から喜んで戴ける仕事をすることが本分の業種です。そのため前述の会社の経営理念を作成いたしました。また、社訓につきましては、富山県の同業者である社長様が来宮された折、ゴルフの後当社に来て頂き会社を見ていただきました。その数日後、富山の会社の社訓や経営方針・経営企画書を送ってこられ、それを参考に当社に見合うよう半分近くアレンジを加え作成したものです。
私から見れば、職業というものには隔たりがなく、どの職業も尊重されるべきである。
職業を謳歌する事により、生活の安定、幸福があるものと思っております。他人から喜ばれる仕事を行い、社員にも公平に報酬を与えるということ、また他人から喜ばれる仕事を行うことによって会社を繁栄させるということが「職業奉仕」であると思っております。