私の職業奉仕(鹿児島西RC・山之氏 秀行)

所属クラブ:

氏名:山之氏 秀行

 鹿児島酸素(株)に勤務して四十三年。入社したのは二十五才でした。理系を出ていたので、当初は技術関連に配属されました。製造設備の保守点検・修理などを主要業務として勤務していました。

入社した経緯は学校卒業後、横浜に勤務していたのですが、何も考えず浅はかな気持ちでUターンして故郷鹿児島に帰ってきたのでした。暫く職探しをしていたのですが、前職のような機械設計の仕事はありませんでした。

 そのような時、担任の先生から声がかかり、縁が有って今の会社に入社しました。当初は大きな製造プラントの導入計画があり、その為の技術者を探していたとの事でした。しかしプラントの導入計画も頓挫し、入社三年後には営業へ配属が変わってしまいました。

 そもそも営業なんてできないから、技術系の学校に入ったのだし、自分に営業は無理だと思いました。

 しかし辞めるわけにもいかず、できるところまで頑張ってみようと決意し、営業への配属を受け入れたのです。仕事は右から左へ売る卸売販売ではなく、高圧ガスを含め専門性の高い商品を鉄工・造船・車関係の会社へ販売する事でした。

 当初は名前さえ憶えてもらえず、「酸素屋さん」と言われたり、訪問すると何しに来たと言わんばかりに無視されたり、苦労の連続でした。それでもめげずに通ううち世間話などには応じてくれるようになり、段々と売り上げが上がってくるようになりました。

 それから徐々に責任ある立場を任されるようになり、五十三才で社長を任されました。社長になっての一番の仕事は財務の立て直しでした。社長就任と同時に本社移転を果たしたのですが、移転に伴う工場製造設備投資や事務所新築の銀行借り入れが数億円に上っていました。

 社長としてすべきことは山ほどありました。

就任半年ほどたってから、天地をひっくり返すような出来事が起こりました。

 医療酸素を納入している離島のクリニックから電話があり、酸素を吸入した患者のおばあちゃんが、具合が悪くなり島内の大きな総合病院へ運ばれたとの事でした。主治医の先生も酸素に異臭がすると言っておられるとの事でした。

 すぐさま社員を現地へ行かせ対応を取るように指示しました。しかし酸素を吸って具合が悪くなるはずもなく、ましてや異臭がするなど信じられないことでした。事情がさっぱり分からないまま現地からの報告を待つのみでした。

 こちらでできる事は今後に備え、品質標準書や品質管理のデータを準備する事でした。

翌日から県警本部捜査一課の刑事が数人で来社し、書類や工場設備の確認と聞き取り調査でした。言葉は丁寧でしたが尋問調になるのは否めない事でした。

 この日からの数日間は食事も喉を通らず、眠ることもできず苦しい日々が続きました。出来ることは、おばあちゃんが元気に回復されるよう祈る事だけでした。

 当時、携帯電話がまだそれほど普及していない時代でしたが、自分は立場上持ち歩いておりました。それから数日後の夕方七時頃、携帯電話に電話がありました。「もしもし、山之氏さんですか?警察のものですが、押収したボンベを科学捜査研究所で調べましたが、何も異常ありませんでした」

 その言葉を聞いた途端、自分で何を言ったのやら「そうですか。そうですか」としか言えなかったことを覚えています。すぐ会社へ電話をし、この結果を告げると社員も涙声で「良かったですね。良かったですね」と声になりませんでした。

 この時、自分が今までしてきたことに間違いはなかったと確信しました。ロータリーの四つのテストそのままです。何事にも正直に偽りが無いようにするという事を社員に指導していました。

 ものづくりは手を抜こうとすれば抜く場所はどこかに必ずあります。しかし顧客を裏切るようなことは絶対にできません。社長一人が聖人君子でいても意味がありません。社長の目が届かない所で社員が手抜きをするかもしれません。社長は昼になるといつもロータリーに行っているが、何をしているんだろうか。売り上げの一つでも上がるんだろうか?と社員は思っているに違いないのです。

 ロータリーで学んだ四つのテストの「真実かどうか」やロータリーの目的「第二 職業上の高い倫理基準を保ち、役立つ仕事はすべて価値あるものと認識し、社会に奉仕する機会としてロータリアン各自の職業を高潔なものにすること」を会社に持ち帰り社員一人一人に浸透させなければならないと考えます。

これが結局は利益を生み、会社を繁栄させ、また窮地に陥った時、助けてくれるのだと思います。ロータリーの綱領と目的を今一度確認し、更に実践していきたいと思います。