私の職業奉仕(都城RC・成松 政昭)

所属クラブ:

氏名:成松 政昭

職業の紹介

私の職業は、業務用食品卸売業をしています、先代が大正4年に大分県佐伯市より移住して海産物を商う店を創業して102年の老舗です。

私は、昭和35年に入社、昭和44年5月には、有限会社成松商店を設立して代表取締役となって以来、外食産業向けの商品に特化した商品を扱う会社として飲食店やホテルの皆様にごひいきされる会社づくりを心掛けてきました、

特に他社では取扱いが難しい商品、ホテルや料理屋さんが欲しがる物珍しいものなど専門的な品揃えで業務を行ってきました、珍しいものでも使用方法も独自の調理法を披露するなど喜ばれる提案をする手法でお得意様を次第に拡大していき重宝がられる業務用食材の専門の会社に成長してまいりました。

しかし、従来の店舗では需要と供給に追いつかずになり手狭になってきたので、平成6年には500坪の敷地に店舗を新築し規模を拡大しました。また、この機に株式会社へ組織変更しました。現在では、自衛隊や病院や特別養護施設などにも拡大しています。品質第一の誠実な品揃えですので福祉施設でも高級食材でホテル並みの食事ができると好評を博しております。販路は宮崎県内はもとより鹿児島県、福岡県など拡大しています。

この職業に就いた経緯

私は、長男なので幼少の頃から跡継の期待が大きく運命づけられて成長したような気がします、周りの認識も同様で時代も親孝行するのが子供の生き方として常道の世相だった。

しかし、中学生時代に先生の影響で教師への思いが強くなりましたが、泉ヶ丘高校1年の昭和35年12月に創業者が死去、その後は母親が苦労して「商い」をしているのを傍で見るにつけ親には苦労を掛けたくないとの思いで次第に跡継ぎへの思いが大きくなりました。

RCに入会した経緯と動機 

都城JCを卒業する時、(故)外山先輩の勧めのままに昭和40年2月、都城ロータリークラブに入会しました。入会後は諸先輩の生き方、考え方、経営への取り組みなど貴重な話を聞ける機会ができました。時代の変遷とともに私の経営にも発想力や洞察力など非常に良いい影響を受けたと思っていています。

ロータリアンとして職業奉仕の取り組み

私は、「四つのテスト」① 真実かどうか ②みんなに公平か ③好意と友情を深めるか 

④みんなの為になるか どうか を常に「言行はこれに照らしてから」のとおりを社員やお得意様、すべての人に接するとき「考え方、判断基準」にして会社経営をしています。

前述したように食品を扱っていますので製造工場、衛生管理を調査する為に、国内、海外の生産基地を訪問するなどして生産現場の状況をお得意様に報告しています。また、医食同源の考え方から食品の分析や体に良し悪しの物、取扱方法、細菌の種類や影響なども随時に文書等で報告する体制を執っています。食品偽装や事故、食中毒などの情報もお知らせしています。また、社員一同、毎月の検便検査で体調管理に努め、安全思想を徹底しています。

最近は、テレビ等で食の健康志向が高まっていることで、正確な情報もお知らせするようにしています。特に社員への教育としては、毎月メーカーを呼んで新製品の紹介や調理方法など都会で普及し始めた料理や新鮮なニュースなどの情報を研究しています。

また、パンやお菓子の講習もやるようになり好評を戴きました、約10年間のべ受講者は八千名となる頃、私の母親が病気のため付き添い看護をしなければならなくなり惜しまれながら講習会を休止することとなりました。このことは、お得意様への「祖母や親から子供への愛の手作り文化の継承を拡大」に役立つことができました。

将来の展望

現在は、私の後継者として息子を社長に委ねて会長職となりましたが、社是として「創意、誠実、前進」の社風の上に新社長のもとで若い力と発想で社運を盛り立てるべく努力しているところです。

失敗談、成功談そこから学んだもの

経営していく中で失敗をして貸し倒れやトラブルも数知れず発生してきましたが、その都度、原因を分析して次に繋げるべく苦労もしたし努力もしてきました。平成22年に発生した口蹄疫や新燃岳の降灰の影響で宮崎県の「非常事態宣言」の煽りで外食産業への需要が激減して甚大な被害を受けました。その余波で弊社でも売上減少が続きました。     そんな中でひらめいたのが「何があっても絶対、潰さない」ためには、「不動産賃貸業も同時に平行して運営することだ」との発想になり、この二本立てでいくことが企業の安全性にも繋がりました。

まだまだ道半ばてはありますが、一歩一歩、確実に成功に向かって挑戦する気持ちは後継者にも理解してもらって次の世代にもつないで欲しいと思う。