私の職業奉仕(鹿児島SWRC・森迫 直子)

所属クラブ:

氏名:森迫 直子

 皆さん、こんにちは。

 私は、平成19年11月に入会し、9年6ヶ月になります。

 思えば、10年前に土地家屋調査士会の総会の懇親会で、永田会員と話をしたのがきっかけでした。懇親会の席上で少し酔いも入り、先輩の永田会員に向かっておこがましくも生意気に自分の仕事に対する思い、自分はこういう仕事をしたいなどと語り、永田会員はいつもの温和な表情で聞いて下さいました。

 しかし、この事がきっかけで後日ロータリーの入会資料を持って私の事務所へお見えになるとは思ってもみませんでした。

 ここで、余談ではありますが、いつも会員増強のことを考え即実行なさる永田会員に敬服いたします。

 少し、私の過去についてお話いたします。

 私は、平成3年に土地家屋調査士の業務を開業し、日々土地建物の測量や登記に関する仕事をしていました。日中は現場に出て測量したり官公署や法務局に行き、家族の寝静まった夜中にパチッと目を開け、明け方まで図面作成というような日常を送っていました。寝る間のない生活でしたが、仕事のある生活というのは本当に楽しい日々でした。

 10年間そういう生活をおくりましたが、7年~8年経った頃から何か自分の中でこのままで良いのだろうか。収入はあっても、いつも現場が大事で子供のそばにいられない。自責の念にかられるようになりました。そして、年齢とともに体力の低下もこたえるようになり、私は平成13年に新たな仕事をすべく土地家屋調査士を廃業し4年間の受験生活に入りました。

 仕事の無い生活は私のこれまでの人生の中でごくわずかですが、まさにこの4年間がその時でした。貴重な4年間でした。

 母親役に徹して、これまで疎かにしてきた地域活動や学校の活動に進んで参加した期間でした。

 平成18年から私にとって第2の仕事人生が始まりました。20代30代でいろいろ経験しました。それを踏まえて選んだ仕事でしたし、たぶん私の最後の仕事だと思っていますので、自分の仕事に対するスタンス、自分がどうしたいかをしっかり持って他人に流されて仕事をするようなことはしたくありませんでした。

 私は今、司法書士という資格で仕事をしております。昔は司法書士といえば代書と呼ばれていたくらいで登記が主な業務でした。

 しかし、昨今の司法書士の業務は本当に多岐にわたっておりまして、受験勉強で勉強したことの無い業務の多さに開業当初は戸惑います。

 一般市民の中には、司法書士が何を業とするか知らない方がまだまだ大勢いらっしゃいます。知らないから何でも相談に来られます。

 私は、5年前に事務所を南九州市に移しましたが、そこにいると本当に自分がなんでも屋さんのように思われます。お墓の相談に来られる方、いきなり通帳を持って来られて引き落としの内容を聞かれる方、本当にいろいろです。

 私は2013~14年度に、職業奉仕委員長の役を仰せつかり、職業奉仕について考えるチャンスをいただきました。

 仕事はたぶん元来好きな人間なのだと思いますが、いつもただ一生懸命にやるだけだった気がします。たまに仕事の結果を依頼者が喜んでくださると、ああ良かったと自分も嬉しい気持ちになったり、始め困難に思われた仕事が無事完了すると達成感を味わったりもしました。

 職業奉仕についてクラブのメンバーと語り合ったり、またメンバーの仕事に対する思いを聞いたり、ロータリーの雑誌を読んだりしながら、私にとって「その人のためになるかどうか」この言葉はとても心に焼き付きました。

 自分は仕事をする中で、間違いのない仕事をしようとか最良の仕事をしようとか思いますが、「その人のためになるかどうか」ということは心に問いかけて仕事をしたことがあっただろうか。

 結果的には同じ仕事内容になるのでしょうが、たまに自問自答しますと何だか困難な仕事もファイトが沸いてきます。

 ロータリーの神髄はもっともっと奥深いものがあると思いますが、少し学んだ気がします。学ぶ機会を与えて下さった当時の会長に感謝いたします。

 「その人のためになるかどうか」、とても素敵な言葉だと思います。