私の職業奉仕(ロータリーEクラブ2730ジャパンカレント・宮本 健児)

所属クラブ:

氏名:宮本 健児

 レディース・アンド・ジェントルマン!!
 我がEクラブを始め、ロータリークラブに所属していらっしゃるロータリアンの皆さんは、そう呼ばれるにふさわしい方々であり、見識も深く教養に富み、日々地域社会に貢献されていらっしゃる方々ばかりであろうと思います。
 しかし皆さん、残念ながら、一般にはそんな立派な見識を持たれた方々ばかりでは御座いません。
 
 今回は、私がまだロータリアンになる少し前、大迫PGのお手伝いをしている頃にお聞きした「職業奉仕」という言葉を借りて、身近な後輩を社会復帰させる事が出来たお話をさせて頂きます。
 
 私にはもう20年以上の付き合いがある後輩が2名ほどおります。1人は自動車整備工のA、もう1人は現在スーパーで販売に携わっておりますB。この2人は同じ中学校を卒業した友人同士であり、私がバイトしていたケンタッキーに同じ時期に入ってきました。彼らとは何かと気が合い、頼り頼られ、家が近所だった事もあり、バイト終了後も何かと連絡を取り合いながら付き合いが続いておりました。
 
 それぞれ就職し、20年位たった頃、整備工のAが体調不良も有りましたが、突然会社を辞めると言い出しました。今後どうするのか聞いた所、
「会社を辞めて体調が戻ったら、パチンコのプロになる!!」
と、聞いた私の口が開いて塞がらないような事をまじめな顔で主張しました。
「やめとけ、無理、無理。」
 自分はそちらの業界で働いている方を知っており、20年位前ならいざ知らず、業界内で幾多のシステム変更を経た現状ではパチプロなぞかなり厳しいという話を聴いておりました。
 しかし、それまで自動車整備一本槍であまり世間の事を知らず、独り身でもあり、時々パチンコで勝っていた事に気を良くしていた当時のAは私の説得に聞く耳を持っていませんでした。
 その時彼に言ったことは「今のお前には、なんといっても聞かんやろう。でもね、俺は予言する。結局お前は無一文になるよ。その時、俺の事を思い出してくれ。言うことが有る。」と言いました。
 
 その後、彼は退職金で得た300万円と幾ばくかの貯金を1年弱で、方々のパチンコ店に全額費やしました。幸い実家に居りましたので、今日明日、食べ物に困ると言う事は無かったようです。
 しかし、しばらくは罰が悪かったのでしょう、風の噂でAが散財したとは聞いておりましたが、彼からは連絡がなく、私からも声は掛けませんでした。
 
 そんなある日、スーパーに従事しているBから、
「こないだAのやつ『宮本さんのゆうたとおりやった』て言って泣いちょったよ。」
と連絡が入りました。年末に、Aの家で中学の同窓生数人が鍋をした時、泥酔したAがBにそう口走ったそうです。職を探しているのか聞いた所、まだその意欲は無さそうだとの事でした。
 もうそろそろかと思い、車の故障について判らない事が有るという口実で私の方からAに連絡してみた所、なんの屈託もなくAの家で相談という事になりました。夕食後、彼の家に訪ねていき、車の事を一通り聞いた後、
「お前やっぱり一文無しになったろう」
と努めて優しく問いかけましたところ、Aは少し入った焼酎のせいか、涙目になりながら、
「うん、ゆうたとおりになった…。」
と声を絞り出しました。
 その時私は、ここぞと思い切々と説きました。
「あのね、俺が知ってるロータリークラブという団体の実践事項の中に「職業奉仕」という項目がある。その中に職業を通じて社会に貢献する大切さが謳ってある。お前の金は、お前がどう使おうがお前の金なんだから、一文無しになろうが自己責任よ。俺はとやかく言わん。でもね、身体が治ったら、また働かんとダメよ。今のお前はただ生きているだけの人。40過ぎてそれでいいはずがない。」
 彼は無一文になった事をまず責められると思っていたらしく、働かない事だけに憤っている私に戸惑っているようでした。
 私は更に、職業に従事して社会に貢献する大切さをロータリーの言葉を借りながら切々と訴えました。そして最後に、
「一年前のお前は仕事に追われて、それから逃げたがってた。だから無理に言っても聞かんかったと思う。でも今はどうか? 無職で収入が無ければ始まらんやろ。で、一切社会に対して役割を果たしてないし、親父さんもお前のこと心配しちょるやろ。それでいいはずないやないか。」
 と言って本人の自覚を促しました。何となく理解してくれたのか、じっとうつむきながら聞いていたAは、
「うん、職探すは…。」
と呟きました。
 その言葉を聞いた私は、後はおだてるだけだ!! と強く思い、Aの整備工としての確かな腕と、素直な性格や責任感があり後輩の面倒見が良いことなど、Aの長所を言葉で並べられるだけ並べ、やる気にさせました。
 数ヶ月後、知り合いの整備員からディラーの整備員としての誘いがあり、無事就職することが出来たとの連絡を受けました。
 その知らせを聞いて、私はやっとAを茶化しに行くことが出来ました。
「お前あんとき立派なパチプロになるて言い張ったがね…。」
と私が言うとAはニヤニヤしながら聞いていました。
 それからしばらくして、Aの親父さんが他界され、Aと斎場で話した時に、
「お前が働いている時で良かったやないか。安心されたはず…。」
と言ったらAは
「うん。良かった。」
と、また、小さな声で言いました。
 
 多分当時「職業奉仕」という言葉を知っていなければ、私はAを説得できなかっただろうと思います。斎場でお会いしたAのお母さんからAが就職した事について、お礼の言葉を頂きました。
 遅かれ早かれ彼はまた働き出したとは思いますが、親父さんの葬儀に間に合ったのかどうかは疑問です。
 
 今でこそロータリアンとなった自分は、「職業奉仕」について当時よりも若干見識も深まったとは思います。しかしいかがでしょうか、「職業奉仕」について、ロータリアンの中で論を煮詰めて行くことも大切ですが、ロータリアンではない、就職間近の青少年や一般の人々にも、職業を通じて人は立派に社会貢献をしているのだと、広く啓蒙し、伝えて行くこともロータリアンとしての使命なのではないでしょうか。私は自分の職場周辺の後輩と接する際、そう考える場面に遭遇する事がしばしば有ります。
 
 今回は私が活用した「職業奉仕」の話を寄稿させて頂きました。これが広い意味で、私の「職業奉仕」についてであると御理解頂けることを切にお願いして終わります。ありがとうございました。