私の職業奉仕(都城中央RC・内村 安博)

所属クラブ:

氏名:内村 安博

 私の職業分類は、電気工事業です。内容としては、建築工事に伴う屋内電気工事が主であり、

一般住宅、店舗、病院、家畜舎、工場等様々な建築物に携わっております。建築会社の下請や、直接、施工主様から受注を頂いております。又、宮崎県や都城市発注の公共工事も分離発注で頂いております。

 弊社は、私が23才の時、個人会社としてスタートし、今年創業四十三年となります。

 創業から今までを振り返りますと十年ごとに転機が来たように思います。最初の十年までは、率先垂範自ら作業をしともに働く現場主義でした。しかし、企業経営としての限界を感じ組織化の必要性に迫られ、法人化しました。この頃から、経営の勉強に取り組み始め、四十歳まではJCや経営セミナーに積極的に参加していました。長期経営計画を立て、何でも挑戦、夢を膨らませた時期でもありました。

 二十年目、四十三才になり計画から実行へと移す時でした。工事実績と社員教育に取り組み、経営基盤を確立するため尽力した十年間でした。  

 三十年目、五十三才で、ようやく経営が安定し、社員もベテランが揃い技術的には何不自由ない会社でした。しかし、一つ問題は、時代の景気に左右され不安定な経営を強いられました。打開策を模索する中、結論として、景気に左右されないエンドユーザーつまり、工場などメンテナンスを必要とする所を沢山獲得する事に決定しました。

 その為に、社員教育では、お客様第一主義を掲げ、我が社は、お客様の為に二十四時間体制を貫く事と社員に訴え、一丸となり勉強会も沢山行いました。仕事を通し、奉仕する様、社員にも協力を求めました。

 具体例として、某焼酎メーカーとの出来事です。我が社の社員を専属の担当者として、配置しておりました。

数年前、大型台風が南九州を直撃しました。工場は、焼酎ブームで二十四時間フル稼働で作業しており、夜中の二時頃、暴風雨で工場は停電しました。焼酎の原料が窯の中に入ったまま機械がストップしてしまいました。そのままでは、原料代数千万円分を消失してしまう恐れがあると、工場は、大パニックに陥りました。

 工場長は、困り果て最後の神頼みは、弊社の担当社員だったそうです。恐る恐る、携帯に電話した所、夜中の二時にも関わらず気持よく応対し台風が通過する一番強い雨風の中を駆けつけました。そんな中、命がけで電柱に上り、見事電気を復活させ事なきを得たそうです。電気が点いた瞬間は、工場の方々から拍手喝采を頂いたそうです。

 日頃、私が社員全員に我が社は『お客様第一主義』を、訴えてきましたが社員の一人一人が自ら実践をしてくれております。

 この、焼酎メーカー様からは、その三年後に工場新築の際に、3千㎡の大型電気工事を特別指名で受注する事ができました。

 又、毎年同じケースで様々な事業所様から仕事を頂いております。私の会社は、お客様が電気設備で困っていれば独居老人宅の電球一個の取替から修繕と、大小問わず、十四時間年中無休で対応致します。

 きっと、お客さまに喜ばれ、いつの日か我が社を必要とされる様な技術と誠意を持って、日々成長していきたいと思っております。

ごく当たり前の事かも知れませんが、これが私の職業奉仕だと思っております。