私の職業奉仕(日向中央RC・木村 礼子)

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氏名:木村 礼子

 ロータリーに入会して3年ほどの私にとって、ロータリーの精神である職業奉仕を理解する時、あるいは説明する時、それは常に誤解を招くように思われる。そう問題は、一体誰に奉仕するのかということである。消費者に奉仕(サービス)すると理解するとそれは全く違った意味を持ってしまう。では企業が社会に寄付やボランティアをすることが奉仕なのかといえばそれも違うらしいのである。では一体どう理解すればいいのだろうか?

最近の企業はコンプライアンスや社会奉仕を高らかに唱っているが、本来そうしたものはことさら言うべきものではなかったはずだ。企業が社員や消費者を顧みず、ただ単に利益至上主義に陥ったがゆえに法遵守などをうたわなければならなくなったのではないだろうか、それは全く職業奉仕とは程遠い企業経営ではないだろうか。

 私が自分の会社で行っている職業奉仕について考えてみた。私の会社は、父が約50年前に小さな工務店として起こしたものである。今でも従業員4名の小さな会社であるが、建築業という特性もあり、30職種以上の職人や下請業者などとつながりがある。時にはその場限りの下請業者もいるが、古いところでは40年以上も続く協力業者もいて、親子2代にわたる付き合いをしている。この業界だけではないが受注競争はとりも直さず金額が高いか安いかが最大のポイントとなるので、時として厳しい原価管理を強いられることもあるが、一方的な押しつけではなく、下請の状況を考慮して互いに無理のない支払計画をしたり、現場では効率よく作業が進められるように配慮することは元請として当然であるが、下請業者も自分たちの意見が言い易いような現場にして、元請も下請も互いに協力しあい、一緒に儲かり、事業を継続してきたとの思いがある。父が亡くなった時に、事業を継続するかどうか悩んだ、その時自分たちも協力していくからと、事業の継続を勧めてくれたもの下請の人たちと従業員であった。それは今まで築いてきた信頼関係があったからこそ、その言葉を得ることが出来たのだと思い、その人たちに迷惑をかけることなく、事業を続けることが私の仕事(職業奉仕)のひとつだと考えている。

 また、最近の人手不足・技術者不足は零細企業ではさらに深刻で、わが社も高齢化が進んでいるが、互いにコミュニケーションをとり、自分の担当現場だけでなく、他がどのような状況にあるか情報を共有することで、無理無駄を省き負担を少なくしたり、20代の若手には職業訓練などを積極的に受けさせるのは当然ながら、休み時間には先輩や職人さんたちと話をするように指導し、人材育成を試みている。毎朝事務所でミーティングをしているが、作業内容や工程などを確認するだけでなく、ときにトランプ大統領、天皇退位、選挙など、身近な話題で盛り上がることもある。年代が違う従業員たちが無駄話をすることで、其々の考えを理解し、時に家庭のことなど個人的な話題で互いの親密さも増すように思う。経営者としても従業員の考えや家族のこと、本人の健康状態など重要なことを知ることができ、年休の取得など従業員が気兼ねなくできるような雰囲気作りにも役立っていると思う、これが私の事務所での仕事(職業奉仕)である。

 以前耐震偽装事件や杭工事のデーター改ざんなど建築業をめぐる不正があった。うちはそんなに大規模な工事はしないが自分が実際にその場に居合わせたら、正直どう対応するか不安である。上からの指示があれば、おかしいと思いながらもそのまま施工するかもしれない。あるいは工期や経費を考えて、少しぐらいの誤差なら見過ごすかも知れない。しかし、建築物は時に命を守る物であり、家族が集う家である。私たちは専門的な知識をもって請け負っている以上、少しでもよりよい物を作り上げるために努力を惜しんではいけないと考えている。時には発注者に対して、できないことは出来ない、あるいはこうしたほうがいい、と率直に意見や提案を言える業者でありたい。お客様に喜んでもらえることで、わが社の信用は増し、引いてはそれが業績を上げることに繋がる、それが私の仕事(職業奉仕)であり、よりよい建築物は社会的基盤として、地域の役に立っていくはずであると考える。

 「真実かどうか」「みんなに公平か」「好意と友情を深めるか」「みんなのためになるかどうか」ロータリー4つのテストを知ったとき、これを自分の仕事の基準とし、実践していくことが出来れば、私の仕事は本物になっていくと感じた。今後はさらにこの4つのテストに照らしながら働いていこうと思う。